みたかデジタル平和資料館戦争の記憶と平和への願いを次世代が受け継ぐために

歴史・戦跡・シンボル

平和のシンボル

 三鷹市では、昭和57年(1982年)に、「核兵器を持たず・つくらず・持ち込ませず」の非核三原則が、平和を愛するすべての国の原則となることを希求し、「非核都市宣言」を行いました。また、平成4年(1992年)には「三鷹市における平和施策の推進に関する条例」を制定し、これまで平和を願う多くの市民や地域の団体とともに、非核・平和への思いを次世代へつなぐための様々な取り組みを行ってきました。

三鷹市内にある平和のシンボル

三鷹市内にある平和のシンボルの位置を示すマップ。仙川公園には平和の像をはじめ多くのシンボルがある

非核宣言都市啓発塔の写真
非核宣言都市啓発塔

 非核宣言都市啓発塔は、非核都市宣言を行った自治体として、広く非核・平和をPRすることを目的に、昭和61年以降、市内のコミュニティ・センターや公園などに順次設置され、現在では市内8カ所に設置されています。

非核都市宣言プレートの写真
非核都市宣言プレート

 三鷹市では、昭和57年に「三鷹市非核都市宣言」を市議会で議決し、平成4年には「三鷹市における平和施策の推進に関する条例」を制定し、平和事業に積極的に取り組んでいます。その一環として、年少期から平和意識の醸成を図るとともに広く市民の方々にご覧いただくことを目的として、平成6年度より順次、市内の市立小・中学校に非核都市宣言プレートを設置しています。

平和の像の写真
平和の像【仙川公園】

 平成元年11月、みたか百周年記念事業の一環として、彫刻家の故・北村西望(きたむら せいぼう)氏の代表作である「長崎平和祈念像」を原型に、氏の遺族や関係者の了承のもと、三鷹の平和のシンボル「平和の像」として仙川公園に新たに建立しました。作者の北村西望氏は、長年三鷹市に隣接する井の頭文化園内のアトリエで創作活動に打ち込み、その間、市内の小学校と交流を深めるなど三鷹市と深く関わりを持っていました。「平和の像」建立にあたっては、市民組織「みたかに平和の像をつくる市民の会」が結成され、像建立のために募金活動が行われた結果、多くの市民から浄財が寄せられました。

ガルトゥングの桜の写真
ガルトゥングの桜【仙川公園】

 平成2年3月、みたか百周年記念事業として開催された「ヨハン・ガルトゥング平和フォーラム」に合わせて来日した、ノルウェーの平和学者であるガルトゥング博士により、仙川公園に植樹された記念樹です。ガルトゥング博士は平和研究の世界的権威で、戦争のない状態を平和と捉える「消極的平和」に対し、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態を「積極的平和」とする、新たな概念の提唱者としても知られています。

プラタナスの樹の写真
プラタナスの木【仙川公園】

 もともと新川交差点の近くにあったこのプラタナスの木は、昭和20年5月25日の三鷹周辺を標的とした空襲で中心部が焼けましたが、外側だけで生き続けました。その後、平成3年11月に仙川公園に移植され、戦後70年が経過した今でも春には多くの葉をつけています。

アンネ・フランクのバラの写真
アンネ・フランクのバラ【仙川公園】

 第二次世界大戦中、ナチスのユダヤ人迫害から逃れるため、アンネ・フランクとその家族はオランダのアムステルダムに隠れ住んでいました。このバラは、当時その隠れ家の裏庭に咲いていた野バラで、戦後1人生き残った父親のオットーにより「アンネの形見のバラ」として、アンネの平和への願いとともに世界中に広められました。
 仙川公園には、「アンネの日記」の読書指導が縁で国内の関係者を通じて株を譲り受け、子ども達の手によって大切に育てられていた高山小学校のバラから、平成5年2月に枝分けされ移植されました。

仙川公園のアオギリの写真
アオギリ(広島被爆樹木2世)【仙川公園】

 仙川公園のアオギリは、昭和20年8月6日に広島で被爆の惨禍に遭いながらも、焼け焦げた幹から再び芽吹き、広島の平和記念公園内に移植された後も、今日まで成長しているアオギリの親木(おやき)の種から発芽したものです。三鷹市も加盟している「平和首長会議」(事務局:広島市)より寄贈されました。
 平成28年1月に戦後70年三鷹市平和事業の一環として、同公園に広島市長を招いて植樹式を行い、三鷹の新たな平和のシンボルとして大切に育てられています。